少し前に川崎大師にはじめて行った。だるま、痰切り飴、久寿餅と門前町の役満みたいな名物が揃っており、参道にはご利益(りやく)をご利益(りえき)に変えていくぜ!という気概が溢れていた。
参道に入るとまず目、そして耳からも飛び込んでくるのが飴屋だ。色々な飴が売られているが、特に印象的なのがとんとこ飴というやつで、「とんとことんとこ」と軽快なリズムで飴を切る音からその名がついたとか(諸説あり)。
【開運とんとこ飴ASMR】川崎大師名物『松屋の飴切り』の音 - YouTube
どこの店も店頭に飴切り職人が立って良い音を響かせながら実演していて、切った飴はその場で試食として振る舞ってくれる。
でもそんなに人通りが多いわけではないので、ずっと飴切りの実演を続けていると需要と供給のバランスが崩れていく。でもとんとこ飴を切る音は日本の音風景100選にも選ばれており、音が名物になっているのであんまり休むわけにもいかない。ではどうするかというと、実際に飴は切らず包丁をとんとこさせて音だけを出すいわばエア飴切りを披露せざるをえない。よくよく見るとけっこうな割合でエア飴切りである。
本来は飴を切るという行為があってその副産物として音があるはずだが、いつしか音の方が目的になってしまっている。自分の部下だったら目的と手段を間違えるなよ!と言ってしまいたくなるが、本当は人間のそういうところが好きだったりもする。文化ってそういうところから生まれるから。
ただやはり音を出す行為だけが残ると見た目的な可笑しさはあって、かなり職人歴の長そうなおじいさんがもはや無意識なんじゃないかくらいに手慣れた手つきでエア飴切りをしながら道ゆく人に笑顔を振りまいているのをみると、これは実はハイテクなロボットなんじゃないかと思えてくる。だって音を出してるだけだから。もうロボットはそれくらいできるだろう。
なんてことを思いながら参道を進んでいると思わぬものに出くわした。
マジの飴切りロボットである。
最先端のロボットのイメージとは程遠く、人間よりも圧倒的に遅い一定のリズムで飴を切る動作を繰り返している。人間のパフォーマンスを散々見せられたあとにこれを見ると、もっと頑張れよ!!ロボットのポテンシャルこんなもんじゃないだろ!!と叫びたくなってしまう。
表情もどこを見ているかわからないうつろな目をしており哀愁がハンパない。どうせロボットで作るならもっと明るい表情にしてあげてほしい。
いや、でも待てよ。このロボットは終わることのないエンドレス飴切りを背負わされているのだと思うと、この表情にはむしろリアリティがある。毎日ただ同じ動作を繰り返すだけの工場のラインに何年も立ち続けたらきっとこんな表情になってしまうはずだ。
そう考えるとさっきみた身体に染みつくほど毎日とんとこしているにも関わらず曇りのない笑顔で笑顔を振りまくおじいさんの方がロボット的だと思えてくる。やはりあのおじいさんは…!?
完全に『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の世界観である。さらにテクノロジーが進んだ、例えば2049年に川崎大師で飴切りロボットが商売繁盛の夢を見る未来もあるのかもしれない。