同じマンションに住んでいるお友達と駒沢公園へ行った。駒沢公園は高校時代に陸上部の大会が開かれていたので当時よく行っていたが、高校を卒業してからはほとんど来ていない。マラソンの練習で会社から家まで走った時にちょっと通ったくらいだ。でも当時も陸上競技場以外の場所にはほとんど行っていないので公園のその他の場所には馴染みがなく、別に懐かしい〜という感情もあまり湧かない。むしろ駒沢公園と聞いていつも脳裏に浮かんできてしまうのは「石原良純がいつも駒沢公園でランニングをしている」というどうでもいい情報だ。ほぼ反射的に思い出してしまうのでうっかり友達のパパに「ここで石原良純がランニングしているらしいですよ〜」と話してしまったが、案の定「へ、へぇ…」とものすごく困惑した返しをされてしまった。うん、こうなることは分かってた。でも我慢できなかった。この空気は石原良純のせいということにしておきたい。
駒沢公園は梅が満開だった。ちょうど一羽の鳥が梅の木に止まったので一眼で撮りまくった。
現地で梅にウグイスだ〜とひとしきり盛り上がったのだが家に帰ってから調べたらこの鳥はウグイスではなくてメジロだった。ウグイスはこれ。
実はウグイスが梅の木に止まっていることはかなり珍しいらしい。大抵の場合止まっているのはメジロのようだ。
梅にウグイスという言葉はことわざになっており、取り合わせが良く、縁起が良いものを表現する際に使われるが、実際にはなかなかお目にかかれない光景なのだ。こんな記事もあった。
梅にウグイス ・・・はほとんど来ない -梅と鳥の生存戦略ー <明日話したくなる理科の話②>| 京都光華女子大学 こども教育学部 こども教育学科
じゃあ昔の人はウグイスとメジロを間違えていたのかというと、そういうわけではないんだ!というブログも出てきた。珍しいことが分かった上でその希少性を悦んでいた、また梅は目で楽しみウグイスはその声を楽しむという取り合せがよいわけで別に梅にウグイスが止まっている場面をいっているわけではない、といった主張である。まぁ分かる。確かに万葉集の歌を書いたような人たちは間違えてはいなかったと思う。
でも、現代人よろしく、え?梅に止まってるのがウグイスじゃないの!?と思ってる昔の人はたくさんいたんじゃないかと思う。
なぜかって、うぐいす餡を見てほしい。
いや、色!!どう考えてもメジロの方が近いでしょうよ!
これはもうめじろ餡でしかないから!!うぐいす餡というネーミングをした人は完全にメジロをウグイスだと勘違いしていたと思う。
見た目はメジロの方が華やかなのにこれだけウグイスがもてはやされているのはやはり綺麗な鳴き声のおかげだろう。見た目はパッとしないけど声でファンを獲得するって現代でいうところのVTuberみたいだ。ホロライブならぬホウホケキョといったところだろうか。今やVTuberは日本発の世界的なコンテンツ市場となっているが、そのルーツはウグイスなのかもしれない。