日和見びより日記

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24/02/13-14 支え合うということ

お昼休みに銀行に聞きたいことがあって電話をした。1回目にかけると必ず混み合っておりおかけ直しくださいと言われて電話が繋がらない。でも2回目にかけると順番待ちになる。少し前にヤマト運輸にかけた時も同じだった。

これ1回目は絶対に繋がらない設定になっているんだろう。つまりかけ直したいほどの問い合わせの意思があるのかを確認しているのだ。こちらの気持ちを試されている。正直に時間をおいてかけ直す人は一生かからない。正直者が割を食う世界だ。

問い合わせの熱意確認が終わり、2回目にかけると無事にオペレーターに順番に繋ぐとのアナウンスが流れたが、20分ほどの順番待ちがあるとのこと。ずっと耳にスマホをつけておくのも疲れるのでスピーカーにして置いておいた。

会社の休憩スペースで電話をかけていたのでスピーカーから流れる保留音のクラシック音楽が周りにも漏れ聞こえていた。そしたらそばを通りかかった同僚から「優雅だね」と声をかけられた。どうやらクラシック音楽を聴きながらお昼を食べていると思われたようだ。そんなに高尚な趣味は持ち合わせていないし、なんなら待たされている身なので気持ち的には全く優雅ではない。

でも発想を逆転させると、長い保留時間が優雅さを演出してくれたということでもある。待たされている間はいっそのことクラシックを嗜むくらいの余裕を見せて優雅に成り切った方が得かもしれない。

 

そんなことを思うくらいしか書くことがなく2日間が終わった。日々は終わるが仕事は終わらない。チームで支え合っているからなんとかなっている。支え合うといえばこの前行った駒沢公園で見た梅の木を思い出す。大きく曲がった木をT字型の突っ張り棒が支えていた。ただよく見ると木の方も支えやすくカットされているように見える。

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支えるというのはどちらか一方が献身的になるイメージだが、支えられる方も支えられるために努力が必要なんだと思う。だから一方的に支えるということはなくて、常に支え合うことが必要で、そうしなければ支えきれずにどちらも倒れてしまう。そういうことだろう。

書くことがないのでそれっぽいことを書いてお茶を濁そうと思ったが、意外といいことを書いてしまった。ありがとう梅の木。なんでも写真に撮っておくべきである。